兼業「主夫」のおうち仕事

ヨメさん思い兼業「主夫」とその仲間のおうち仕事レポート

自粛のGW クローゼットの服にお礼を言ってサヨナラしました

 

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クローゼットの中


 「東京に来るな」「東京から出るな」「お店で酒は出すな」

「ネオンは消せ」あれこれ言われ、嫌でも自宅にこもるような

ゴールデンウイークです。

こんな時だからこそできることもあるかと思い、クローゼットや

衣装ケースからあふれ出している服をかなり捨てました。



捨てる基準は・・・

捨てると言えば「断捨離」です。

私は提唱者の やましたひでこ さんの著作を読んだ事はありませんが、

「単なる片付け術ではない」とか、捨てる基準として

「使えるか」ではなく「必要か」ですとか聞いたような気がします。

節約志向や、ひょっとしたら売れるかもなど、

と言う考えも捨てるべき。

などといった言葉が断片的に頭の片隅にあります。

 

もう一つは、コンマリこと近藤麻理恵さんの

「人生がときめく・・」シリーズです。

こちらも読んだことがありません。

心がときめくかということが片づけの基準のように聞きました。

 

 

ひょっとしたらまた

ものを捨てるのはもったいないという意識があります。

それより、衣類とか本などは、何か自分の一部のような気がすることと、

私のために働いてくれたものをゴミにする罪悪感が

捨てることをためらわせるのだと思います。

 

本はともかく、衣類は体型が変わり、流行が変わり、

少なくともこの数年身に付けたことがないものが、かなりありました。

中には、非常に着易く繰り返し身に付けたせいで、

あちこちほつれたり薄くなったり、だいぶくたびれたものも見られました。

こうなると、何か愛おしさのような気持ちが芽生え、

なおさら捨てられなくなります。

 

体型は4年ほど前が体重のピークで65キロ程度。

それが今は60キロちょうどですので、

流行の形の違いもあり、古いズボンなどはお腹周りが ブカブカです。

 

体重は年とともに増えて、また減ったので、

捨てずにおいた古いジャケットやズボンが、

また丁度良く着られるようにもなっています。

 

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衣装ケース

 

こういうことがあると、またひょっとしたら太るかも、

そうすれば太ったときの服がまたフィットするのでは、

こんな考えが頭に浮かび、また捨てられなくなります。

これはどちらかといえば実利的な理由です。

 

基準よりもお礼を言って「罪悪感」を軽くする

機械や道具であれば壊れて、修理もできないとなれば、

限られた場所に置いてはおけないので、処分する圧力は

罪悪感を上回り捨てることが出ます。

 

これが服ですと「また着られるかも」のような期待を言い訳にして、

何とか収納ケースに押し込んで時を過ごしてきました。

 

私の場合は「めんどうくさい」もありりますが、

「罪悪感」が物を捨てる意外と大きな障害だと気づきました。

 

服を捨てる基準に「〇年以上身に付けてないもの」などと聞きます。

それは単に基準の一つであって、罪悪感を軽くするものではありません。

それでもある程度捨てないことには、あふれ出ている服が収納できません。

やむを得ず「3年以上身に付けてないもの」というだいぶ甘い基準で、

捨てるものを選びました。



そういう目で見ると、衣装ケースの底の方には

以前のお気に入りや、無理をして買ったものの

ほとんど着たことのないものがかなり出てきます。

 

せめて下取りに出したり、買い取ってもらったりも

ありではないかと考えました。

ですが、年数の経ったものはいかにも野暮ったく、

よく見ると退色もしているようで、

さすがに譲ることができません。

 

コート、ジャケットやスーツ、シャツ、ズボンなど一つ一つポケットをチェックし

 

改めて丁寧にたたみながら、「ご苦労様でした」とか、

「寒いときに守ってくれてありがとう」だとか声をかけつつ、

ゴミ袋に入れました。

 

外から見ると「大丈夫か」と思われそうですが、

いくらか気持ちが軽くなり作業を終えることが出来ました。

 

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処分することにした衣類

 

これだけのものが、さして広くない収納スペースに

場所を占めていたのです。

あふれた衣類が、片付かない感を出していました。

 



これでまた余分なものが増えなければ、

すっきりとした部屋のままですが、どうなりますことやら。